長崎編 端島(軍艦島)クルーズ No4
【旧・N.Eの玉手箱】 エレックのHP 【船の写真満載】 レストラン船・ロイヤルウイング
ブログ内の画像全ての著作権は作者に有り、無断使用を禁じます。
上陸して最初に説明を受ける広場。
上陸して見学時の注意点やかつての端島の生活状況などの説明がありました。
当時の生活、町にあるものは何でも揃っていたが、狭い島内での生活は大変だったようです。
端島・軍艦島は長崎港から南西19kmの沖合いにあり、周囲1.2km 南北に480m 東西に160m。
面積約63,000㎡という島です。
元々は水成岩の瀬だった小さな島は現在の1/3程度の大きさだったと言われています。
それを採炭のために6回に渡り護岸工事で拡張して現在の大きさにしたそうです。
ここには生活するのに必要な設備はなんでも揃っていて、幼稚園から小中学校、グランド、プール、屋上菜園(園児の為)娯楽施設(パチンコ・映画館など)病院・理髪店・商店・神社・銭湯などがありました。
無かったのは火葬場とお墓だけと言われています。
高台の上にある四角い建物は「貯水槽」です。
当時水は大変貴重なもので給水船で水を運んでこの貯水タンクに貯めていました。
そのためお風呂は海水を沸かしたもので、昭和32年に長さ6.5kmの海底送水管が敷設されるまでは給水制限がありました。
電気は当初発電機で自家発電していましたが、大正17年に高島から海底電線で電気が通りました。
右側の建物は高級職員用の3号棟。ここには島で唯一内風呂が付いた部屋がありました。
広場の後には「選炭機」建屋が有ります。
いよいよ見学痛路に沿って歩き始めます。
防潮堤は島の大切なライフラインですが、人が住まなくなり、また太平洋の荒波でかなり傷みが進んでいます。
雨水などの排水溝でしょうか。
二番目に説明を受けた場所。
ここは見学通路の一番奥になります。
正面の建物は、30号棟、当時日本最初の高層鉄筋コンクリート造り7階建てのアパートでした。
郵便局・理髪店・一般用風呂・売店などがありました。
右側の建物は機械修理などをする建屋です。
プール。
この白いタイルは当時住んでいた方は一度もこの白いラインを見たことが無かったそうです。
当然水は貴重なので、中には海水が入っていました。
それでも貴重なので、水は終始濁っていたそうです。
続きます。
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上陸して最初に説明を受ける広場。
上陸して見学時の注意点やかつての端島の生活状況などの説明がありました。
当時の生活、町にあるものは何でも揃っていたが、狭い島内での生活は大変だったようです。
端島・軍艦島は長崎港から南西19kmの沖合いにあり、周囲1.2km 南北に480m 東西に160m。
面積約63,000㎡という島です。
元々は水成岩の瀬だった小さな島は現在の1/3程度の大きさだったと言われています。
それを採炭のために6回に渡り護岸工事で拡張して現在の大きさにしたそうです。
ここには生活するのに必要な設備はなんでも揃っていて、幼稚園から小中学校、グランド、プール、屋上菜園(園児の為)娯楽施設(パチンコ・映画館など)病院・理髪店・商店・神社・銭湯などがありました。
無かったのは火葬場とお墓だけと言われています。
高台の上にある四角い建物は「貯水槽」です。
当時水は大変貴重なもので給水船で水を運んでこの貯水タンクに貯めていました。
そのためお風呂は海水を沸かしたもので、昭和32年に長さ6.5kmの海底送水管が敷設されるまでは給水制限がありました。
電気は当初発電機で自家発電していましたが、大正17年に高島から海底電線で電気が通りました。
右側の建物は高級職員用の3号棟。ここには島で唯一内風呂が付いた部屋がありました。
広場の後には「選炭機」建屋が有ります。
いよいよ見学痛路に沿って歩き始めます。
防潮堤は島の大切なライフラインですが、人が住まなくなり、また太平洋の荒波でかなり傷みが進んでいます。
雨水などの排水溝でしょうか。
二番目に説明を受けた場所。
ここは見学通路の一番奥になります。
正面の建物は、30号棟、当時日本最初の高層鉄筋コンクリート造り7階建てのアパートでした。
郵便局・理髪店・一般用風呂・売店などがありました。
右側の建物は機械修理などをする建屋です。
プール。
この白いタイルは当時住んでいた方は一度もこの白いラインを見たことが無かったそうです。
当然水は貴重なので、中には海水が入っていました。
それでも貴重なので、水は終始濁っていたそうです。
続きます。
by y-Sharaku-2
| 2016-06-16 11:47
| 旅行